母
亡くなって1年以上経った。78歳で逝ってしまった。亡くなる数年前から認知症、施設に入って1年経たずに。
死に目には会えなかった。まだ大丈夫だろうと、よりにもよって島に旅行に行っている間に急に体調くずし、島にいる間に訃報をきいた。
食事は美味しかったはずが味はわからず、でも信じられないくらい澄んだ美しい青空の日、風が強い海岸で真っ白な灯台とオレンジの綺麗な花々をみた。忘れられない。母がいなくなった日。
認知症になってからしばらくは姉たちのように何もわからなくなるのかと、怯えて嘆き、罵り罵倒し、隠れて嘘をつく最悪な母をみて、早く終わって欲しいと思う日々、なんとか病院に連れて行き(車の中で死にたい、飛び降りてやると叫ぶ母と喧嘩しながら)薬を毎日飲むようになり、大人しくはなったけど違う知らない人のように、子どものように何もわからなくなっていく母と会い続けるのが辛かった。
娘2人が進学で東京に行った春、父が母を施設に入れる決心をし、だますように母を連れて行った。前日1人、仏にすがる気持ちで詣でたお寺はツツジと石楠花が満開で綺麗で…忘れられない。
入った当初はやはりあばれたり怒りの連絡が毎日きたけれど、携帯電話もかけられなくなり、コロナのせいでリモート面会しかできないうちに、だんだん施設の人になり、他人行儀で愛想の良いおばあちゃんになり、娘たちとニコニコ笑顔で毎週リモート面会する日々が永遠に続くかと思っていたら、あっけなく脳しんとうで半身麻痺になり、永くないでしょうと言われた日から半年。
最後の2か月は会えるようになり、知り合いもほぼ連れて行った。たくさん動画も撮った。
最後はいろいろ通りこして、母らしい人格を取り戻した自然な母で、何故か私のことも思い出したように自然に会話した気がする。
生まれていちばんながく接した人だ。
ぽっかり。朝目が覚めたらうっかり母に電話したいとか、会える気がすることもちょくちょくあるから、まだ心が母がいないことをわかってないのかもしれない。本当に大きな喪失は涙もひっこんで、感覚も飛んだままかもしれない。
良い感情ばかりではなかった。
嫌いな面もたくさんある親でもあったし、
それでも、もう良い面しか思いだしたく無いし、
子どもの頃の母の優しさや笑顔はずっとある。
はじめも最後も、お母さんだった。好きも嫌いも含めて愛しかない。愛情はたくさん。
いちばん大きな別れを経験したのだと思う。
次は自分の番。娘たちとお別れするときは
自分が母の番。
どうか、うまく人生終えられますように。
ブログ、好きな音楽や映画、本を綴ろうと始めたけれど、母の事を書いておきたくなった。
今、大事だと思ってること、案外人への感情なのかも。
知り合いは誰も読まない前提で素直な気持ちを表現してみるのも54歳悪く無いかな😏
恨みつらみじゃなくてね。
いろいろ悔いないように、吐き出して、心の断捨離もしたいと思う新年であります🪅🙏