TENsLIFE

思い出のアルバム✴︎好きだったを記録

思い出の児童書&絵本

🔹子どもの頃母が買ってくれて好きだった作品🔹

  今から40年以上も前に読んでいた本たち❣️

 

🟢 寺村輝夫作品ぼくは王さまシリーズ。大人になってからも時々読んでた。王さまが可愛くて幼くて、卵料理の描写がすごく美味しそうで、楽しかった。挿絵も好きだった。

 

🟢 鍵ばあさんシリーズ。風邪ひいて学校休んだ時に母がプレゼントしてくれた。

 

🟢 11ぴきのねこシリーズ。絵が可愛くてね🐱

 

🟢 絵が違うけど。確かロッタっちゃん。映画もあるんだな。なんとなく覚えてる。

もう一度読んでみたいな。

 

🟢 これは自分で買ったんだったかな。味戸ケイコさんの絵が幻想的で好きだった。

 

🟢 懐かしき昭和の気配。お地蔵さんが雪の中を歩いてくるかもって、子どもの頃は本気でそんなこともあるかもと思っていたな。

 

🟢アニメも好きだけど、小学校に上がった時、初めての担任の先生が給食の時間に呼んでくれるのがすごく楽しみだった思い出。おいてけぼりは怖かった👻

 

 

🔸子どもたちが小さい頃読み聞かせした本たち🔸

 

🔴くれよんのくろくん。こどもたちも好きだった。絵が可愛くて🎵

 

🔴 上の子が特に好きな絵本。うさちゃん可愛くてね🐰

 

🔴 下の子がお気に入りだった。ホットケーキが食べたくなるよね。

 

🔴 これも可愛くてほっこりしたなあ。懐かしいな💦

 

🔴 中川李枝子さんは少し大きくなってから読んだ思い出

 

🔴 次女が小学生の時ハマっていたシリーズ。あんびるやすこさんの本よく図書館で借りたな。

 

🔴アニメが先で絵本も読んだ。イシシとノシシ🐗アルクアルクゾ〜🚶‍♀️

 

🔴確かこれも次女が全部読んでた。

 

 

 

♦️大好きだった絵本・画集・詩集など♦️

 

🟡 美しくて大好きで自分でも真似してケント紙に透明水彩で絵を描いてた頃。いつの間にか手放してしまったんだなこの画集😿

 

🟡 おおた慶文さん。この人以上に美しい少女絵を描く人をほかに知らない。涙が出るくらい好き。自分にもあった可愛い時期。時の流れは残酷でもある。永遠に見ていたい。

 

 

 

🟡 おおたさん↑より幼い少女はちひろさん

 

🟡 アーサーラッカムのマザーグース絵本もよく読んだ。ちょっと怖い絵。ここから萩尾望都さんに興味は繋がる。

 

🟡 叔父と一緒に個展を開いてらしたその昔。ジブリで大ブレイクされイバラードが一躍有名に👏👏👏

 

🟡 挿絵の神天野さん。グイン・サーガ吸血鬼ハンターDもキマイラシリーズも読んでいました。

 

 

 

🟡 当時常に購入していた雑誌「詩とメルヘン」

 

 

 

 

 

忘れるもんだな。もっと色々読んでた気がするけど。思い出したら追記しよう。

自分の幼い頃と、こどもたちの幼い頃、まあまあ被ってる。なんといっても同じ幼稚園を卒園しているし先生も一緒だったので。Amazonを検索したらほぼ残っていて嬉しい。

 

亡くなって1年以上経った。78歳で逝ってしまった。亡くなる数年前から認知症、施設に入って1年経たずに。

死に目には会えなかった。まだ大丈夫だろうと、よりにもよって島に旅行に行っている間に急に体調くずし、島にいる間に訃報をきいた。

食事は美味しかったはずが味はわからず、でも信じられないくらい澄んだ美しい青空の日、風が強い海岸で真っ白な灯台とオレンジの綺麗な花々をみた。忘れられない。母がいなくなった日。

認知症になってからしばらくは姉たちのように何もわからなくなるのかと、怯えて嘆き、罵り罵倒し、隠れて嘘をつく最悪な母をみて、早く終わって欲しいと思う日々、なんとか病院に連れて行き(車の中で死にたい、飛び降りてやると叫ぶ母と喧嘩しながら)薬を毎日飲むようになり、大人しくはなったけど違う知らない人のように、子どものように何もわからなくなっていく母と会い続けるのが辛かった。

娘2人が進学で東京に行った春、父が母を施設に入れる決心をし、だますように母を連れて行った。前日1人、仏にすがる気持ちで詣でたお寺はツツジと石楠花が満開で綺麗で…忘れられない。

 

入った当初はやはりあばれたり怒りの連絡が毎日きたけれど、携帯電話もかけられなくなり、コロナのせいでリモート面会しかできないうちに、だんだん施設の人になり、他人行儀で愛想の良いおばあちゃんになり、娘たちとニコニコ笑顔で毎週リモート面会する日々が永遠に続くかと思っていたら、あっけなく脳しんとうで半身麻痺になり、永くないでしょうと言われた日から半年。

最後の2か月は会えるようになり、知り合いもほぼ連れて行った。たくさん動画も撮った。

最後はいろいろ通りこして、母らしい人格を取り戻した自然な母で、何故か私のことも思い出したように自然に会話した気がする。

 

生まれていちばんながく接した人だ。

ぽっかり。朝目が覚めたらうっかり母に電話したいとか、会える気がすることもちょくちょくあるから、まだ心が母がいないことをわかってないのかもしれない。本当に大きな喪失は涙もひっこんで、感覚も飛んだままかもしれない。

 

良い感情ばかりではなかった。

嫌いな面もたくさんある親でもあったし、

それでも、もう良い面しか思いだしたく無いし、

子どもの頃の母の優しさや笑顔はずっとある。

はじめも最後も、お母さんだった。好きも嫌いも含めて愛しかない。愛情はたくさん。

 

いちばん大きな別れを経験したのだと思う。

次は自分の番。娘たちとお別れするときは

自分が母の番。

どうか、うまく人生終えられますように。

 

ブログ、好きな音楽や映画、本を綴ろうと始めたけれど、母の事を書いておきたくなった。

今、大事だと思ってること、案外人への感情なのかも。

知り合いは誰も読まない前提で素直な気持ちを表現してみるのも54歳悪く無いかな😏

恨みつらみじゃなくてね。

いろいろ悔いないように、吐き出して、心の断捨離もしたいと思う新年であります🪅🙏

令和6年新年の誓い

来年で55歳。

今年は自分の棚卸しをする。

今まで生きてきて、心動いた物、事。

強く残っていることを一度書き出して、

すっきりしたい。

身辺整理!なかなか片付かない身の回りもちゃんとしたい。捨てるべきは捨て、あと少し生きる為のスペースを作る。心も記憶も家にも。

いつ死んでもオッケーな自分になれますように🐾

終わりの始まりをstartする👍

はてなブログにいちおう記録として残しておこう。処分した後また欲しくなったり、思い出せなくなってジタバタしないために😏